「室長!暑いですね!風蘭の花は、まだ、咲いてますか?」「友達連れて行くからね!」
26.7.24(曇り後晴れ)
最低気温が26度、最高気温が30度でした
今日も暑い一日でした。
風蘭業務は、今日も、来室は2名です。愛好家と共に風蘭の花の鑑賞をしたり、風蘭の花の蘭談議でした。
司法書士業務は、相続による所有権移転登記申請の準備と債務整理の打ち合わせでした。
風蘭の紹介は、高知県北川村産の無銘「北川の虎」に最近仮銘が「光次(こうじ)」と命名しましたので紹介します。
まず、安政5年(1858)、有名な中岡慎太郎は慎太郎と名乗る前は中岡光次でした。
その頃の「大庄屋見習い」としての仕事の功績が気に入って、功績の由来の柚子の木に着生していたこの木に「光次(こうじ)」とその名前を頂きました。
そこで、少しその光次ついての辞世と中岡光次について室長の説明より地元の烏ヶ森山頂付近と辞世と立札をアップしますのでご覧になってくださいませ。
烏ヶ森山頂付近
慎太郎の辞世の句の碑が建てられています(長州で「禁門の変」に向かう時のもの)
また、このあたりには戦国時代の北川氏の居城だった「烏ヶ森城」跡もあります。
そこで、少しその光次ついての辞世と中岡光次について室長の説明より地元の烏ヶ森山頂付近と辞世と立札をアップしますのでご覧になってくださいませ。
慎太郎の辞世の句の碑が建てられています(長州で「禁門の変」に向かう時のもの)
また、このあたりには戦国時代の北川氏の居城だった「烏ヶ森城」跡もあります。
次はこの高知県北川村産の無銘「北川の虎の花」で以前ブログで紹介しておりましたので、そのブログ写真を紹介です。
少しアップしてみます。
裏からもアップします。
光次は葉芸でも虎と腰斑も素晴らしいです。
光次の名前は中岡光次の当時自分の私財を差し出して、その上、土佐藩に交渉してその藩の倉から資財を交渉して、柚子の木を植えたことにより、今の北川の柚子があるとのことでした。
光次の名前は中岡光次の当時自分の私財を差し出して、その上、土佐藩に交渉してその藩の倉から資財を交渉して、柚子の木を植えたことにより、今の北川の柚子があるとのことでした。
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